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【諦める】の語源について

とある本を読んでいて、ある言葉が心にスーッと響きました。
【諦める】の語源についてです。

【諦める】の語源は【明らむ】【明らかにするということで、仏教では「真理(物事の理)を明らかにする過程で、願望が達成できそうにない理由を知り、納得して願望を断ち切る(捨てる)」という意味があるそうです。
なのでネガティブな言葉ではなく、ポジティブな言葉なのだそうです。

思えば事故により隻腕になってから、ポジティブな言葉として自然と【諦める=明らかにする】という考え、行動をしていました。
ではそれ以前はどうだったのかといいますと非常にネガティブな言葉として使っていました。
例えば「転職してもブラックな会社ばかりに入社してしまうのは世間が悪いから仕方がない」「貧乏なのは高い給料を払わない会社が悪いから仕方がない」など諦めることで後悔、恨み、怒り、悲しみを感じていました。
他責にする人生であり幸福とはいいがたい状態でした、まあ全部自分に責任があるのですが当時はそう思えなかったです。

隻腕になったあの日、事故直後から右腕の感覚が無く、「もう右腕は無くなってしまったんだ、二度と使えないんだ」と感じており、その経験から【諦める=明らかにする】という考えに自然とシフトしていたんだと思います。

たとえばこんなエピソードがありました。
入院中に初めて食事が提供されたときに看護師さんから「スプーンとフォークを用意しましょうか?」と提案してくれました。慣れない左手での食事を気遣っていただいてのお言葉だったのでしょう。でも私はそれをお断りしました。もう二度と右腕は動かない、使えない。だったら1秒でも早く左手でお箸を使うことが大事だし、今後生きていくうえで楽になるだろう。そう思ってのお断りでした。

右腕を動かすこと、使うことを諦める。そのかわり動く左手を使う。そうしたほうが後々楽になる。
これが人生で最初の【諦める=明らかにする】経験でした。

その後も様々なことを【諦める=明らかにする】することで障害を負った人生に絶望することなく、幸福感の多い人生を歩んでいます。
五体満足だった時は絶望した不幸な人生でしたが、五体不満足の今のほうが幸福な人生を歩んでいるのは不思議なものです。
人生とは自分の考え方、捉え方次第でどのようにでもなるのです。
右腕が動かないと思うのか、右腕以外は動くと思うのかで考えや行動、人生が大きく違っていきます。
幸せとは自分次第なのでしょう。

今日から6月が開始となり会社員生活最後の月となりました。大体6年くらい勤務していましたが【サラリーマン】という働き方が私には合わない、向いていないことを教えてくれるきっかけになり大変感謝しています。
元財閥の超大手で入社すれば一生安泰といわれる企業ですが、自分がこのまま勤務し努力しても幸せになれないと理解しました。

ですがそこで絶望したり後悔や恨み、怒り、悲しみを感じることはありませんでした。自分の能力が会社には合わない、力不足であることに納得し退職すると決めたからです。
そして独立して会社を作ると決めたので【諦める=明らかにする】ことができました。
五体満足の時ならきっと会社のせいにし、自分は悪くない、今の会社は諦めて次の会社にかける。という考えだったでしょう。そしてまた同じことを繰り返したでしょう。

右腕は失いました。ですがそのことにより右腕以上の価値、考えを頂けていると思っています。

ほんじゃ~ね~!

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